大判例

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東京高等裁判所 昭和41年(う)1086号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

〈前略〉各論旨は、多岐に亘り、原判決が被告人の所為に対し適用した昭和四〇年三月三一日法律第三三号による改正前の所得税法(以下旧所得税法と略称する。)第七〇条第一〇号、第六三条は憲法に違反して無効であるとし、また、右法条の罪は身分犯であつて、その身分のない被告人の所為は罪とならないとし、その他原判決には法令の解釈、適用の誤り、事実の誤認、理由の不備、採証法則違反ないし訴訟手続の法令違反がある旨を主張する。よつて、先ず、弁護人の控訴趣意第一及び被告人の控訴趣意第一点の憲法違反の主張について案ずるに、各論旨に縷述するところは、要するに、原判決は被告人の所為に対し旧所得税法第七〇条第一〇号、第六三条を適用、処断しているが、同法第七〇条第一〇号の構成要件をなす同法第六三条の規定は、不明確であつて、客観性を欠くこと著しく、そのため権力者の恣意的解釈と職権濫用を許し、刑罰法規の保障機能を具備せず、法的安定性を害し、基本的人権を侵害するものである点において憲法第三一条に違反し、また、憲法第三五条は、特に刑事手続においてと限定していないし、行政手続においても人権の侵害が発生するのであるから、最高裁判所の判例も容認しているように同条は行政手続にも適用されることが明らかであるところ、旧所得税法第七〇条第一〇号、第六三条は、一年以下の懲役または二〇万円以下の罰金という刑事制裁をもつて裁判所の令状によらない質問検査権の行使を受忍させるものである点において、かつ、本来任意調査であるべき旧所得税法第六三条の質問検査権を同法第七〇条第一〇号の罰則の裏打ちによつて無制限の強制調査とした点において、憲法第三五条に違反することが明白であつて、ひつきよう、憲法第三一条、第三五条に違反して無効な旧所得税法第七〇条第一〇号、第六三条を適用した原判決は到底破棄を免れないというのである。

よつて、先ず、憲法第三一条違反の主張について考究するに、旧所得税法第七〇条第一〇号に引用されその構成要件要素をなす同法第六三条の規定は、収税官吏の質問検査権を規定したものであるが、同条の規定するところに特に明確を欠く点があるとは解せられず、後記各事項についてその趣旨が不明確であるという所論は結局独自の見解たるに過ぎないもので、到底賛同することができない。即ち、「収税官吏」の意義について旧所得税法にその定めのないことは所論のとおりであるが、大蔵省設置法第三章、大蔵省組織規程第三章の規定に徴し、なお、国税徴収法第二条第一一号が「収税職員」についてその意義を定めているところによれば、「収税官吏」とは、税務署長その他税務官署の部課に所属して、直接、国税の賦課徴収に関する事務に従事する職員を指すものと解せられ、また、所得税法に申告納税制度を採用していて、納付すべき税額は納税者のする申告によつて確定するのを原則とするのであるが、その申告のない場合、又はその申告にかかる税額の計算が所得税法に従つていない場合その他当該税額が税務署長の調査したところと異つている場合には、決定或いは更正による確定処分を必要とするものであり、「所得税の調査」とはまさに右の場合の調査をいうものと解せられ、従つて、旧所得税法第四五条の場合の調査を含むものであり、「調査に関し必要あるとき」というのも、右の申告のない場合、又は申告が適正でない合理的な疑いのある場合をいい、もとより当該収税官吏の恣意による調査が許される訳のものではなく、そこに客観的な基準の存することは当然であつて、従つて、また、「質問」の事項の範囲、「検査」の対象物件の範囲も自ら限定されるのであり、更に、「納税義務者」とは、右の調査目的、及び旧所得税法第六三条第一号が「納税義務者」のほか、納税義務があると認められる者又は損失申告書を提出した者を掲げていることに鑑みると、確定申告書を提出して納税義務のあることを申告した者を指すものと解せられ、かかる者について所得の申告洩れ等があつてこれを調査する必要のある場合があることは多言を要しないところである。以上、旧所得税法第七〇条第一〇号の構成要件要素をなす同法第六三条の規定には趣旨明確を欠くところがあるとは認められず、従つて、右規定の趣旨が不明確であることを前提として、収税官吏の恣意的解釈を許し、その職権の濫用を誘発するとして憲法第三一条違反を主張する所論は当らない。次に、憲法第三五条違反の主張について考量するに、同条は刑事手続に関する規定であつて、直ちに行政手続に適用されるものではないと解するのが相当であるから、行政調査手続を規定した旧所得税法第六三条には直接適用がないものといわなければならない(最高裁判所昭和三〇年四月二七日大法廷判決、刑集第九巻第五号九二四頁参照、なお、論旨に引用する同裁判所昭和三一年一二月二六日大法廷判決は寧ろ所論のような違憲に関するものではなく、福岡高等裁判所同年八月九日判決―論旨に最高裁判所小法廷判決とあるのは右の誤記と認められる―は憲法第三八条に関するものであつて所論に適切な判例とはいえない。)。仮りに、憲法第三五条が行政手続についても適用ないし準用せられるものとしても、課税の適正公平を期し、これを阻害する国の課税権に対する侵害又はその危険を防止するため、収税官吏に納税義務者らに対する質問検査を許す必要のあることはもとより容認されて然るべきところであり、従つて、納税義務者らにはこれを受忍すべき義務があつて、旧所得税法第六三条に規定する程度の任意調査を受忍すべきことは勿論であり、その実効を期しこれを間接に強制するため同法第七〇条第一〇号所定の罰則を設けて同法第六三条所定の質問検査権を規定したことは、刑事手続と行政手続との性格上の本質的相異に鑑み、強ち憲法第三五条に背くものではないものと解せられる。それ故、旧所得税法第六三条、第七〇条第一〇号は憲法第三五条に違反し無効であるとの所論も到底採用し難い。従つてこの点に関する論旨はすべて理由がない。

そこで進んで、弁護人の控訴趣意補充書三において主張するように、旧所得税法第七〇条第一〇号の罪はいわゆる身分犯として、同法第六三条第一号ないし第三号所定の収税官吏の質問検査権行使の対象者のみが犯罪の主体となるものであるか否か、また、被告人はそれに当らず、同法第七二条第一項の両罰規定により刑責を負うべき者でもなく、結局被告人には同法第七〇条第一〇号の罪が成立する余地はないものであるか否かの点について考察する。

先ず、旧所得税法第六三条は、課税の適正公平を期するため、収税官吏の質問検査権を規定し、収税官吏は、所得税に関する調査について必要があるときは、納税義務者、納税義務があると認められる者、損失申告書を提出した者、その他以上の者に金銭若しくは物品の給付をする義務があり若しくはあつたと認められる者、又は以上の者から金銭若しくは物品の給付を受ける権利があり若しくはあつたと認められる者、支払調書、計算書、調書、源泉徴収票を提出する義務がある者に質問し、又は右の者らの事業に関する帳簿書類その他の物件を検査することができるものとしている。従つて、納税義務者その他同条第一号ないし第三号に規定された者は、正当な拒否事由がある場合のほか、収税官吏の質問に応じ、その事業に関する帳簿等で所有し、または所持するものの検査に応ずべきいわゆる受忍義務があるのであるが、右の質問検査は本来相手方である受忍義務者の承諾の下に行われることが望ましいことであつて、本来強制力を用うべき性質のものではないが、国の税務行政の円滑な運営を図り、国民に対する適正公平な課税により、国家財政を確保するための必要から、旧所得税法は第七〇条第一〇号ないし第一三号の規定を設けそれらの規定に違反した者に対し刑罰を科することとして、右の受忍義務の履行を間接に強制し、同法本来の目的の達成を図つているのである。それ故、同法第七〇条第一〇号の罪の構成要件をなす同法第六三条の質問検査受忍義務違反の行為は、同条に定める受忍義務を負う者がこれを履行しなかつた場合であり、これを換言すれば同法第七〇条第一〇号はいわゆる身分犯を規定したものであつて、同号の罪の主体となり得る者は納税義務者その他その他同法第六三条が第一号ないし第三号において規定した受忍義務者のみであり、右の身分を有しない者は、身分を有する者と共犯関係にある場合は格別、それ以外においては右の罪の主体とはなり得ないものと解するのが相当である。このことは、旧所得税法が罰則について規定した第九章の第六九条ないし第六九条の四の規定が或いは所得税を免れた者、或いは所得税を納付しなかつた者、更にはまた特定の書類を期限内に提出しなかつた者らを対象に規定しているほか、第七〇条第一号ないし第九号についても、いずれも同法において一定の作為又は不作為の義務を負う特定の身分を有する者がその義務に違反した場合、これを処罰の対象にしていることに徴しても疑いのないところである。然らば同法第七〇条第一〇号ないし第一三号についても前記の各罰則と同様一定の身分を有する者を処罰の対象としているものと統一的に解釈するのが相当であつて、特に、本件に関係のある第一〇号の場合において検査を「拒み」または「忌避し」とはその行為の態様内容に鑑み前同様身分犯について規定したものと解すべきところ、ひとり、検査を「妨げ」た場合のみを他の検査を「拒み」または「忌避し」た場合と異る解釈をし、当該受忍義務者以外の一般第三者についても同号にいわゆる妨害罪が成立するものであるとすることは当裁判所の採らないところである。また、同法第七二条第一項のいわゆる両罰規定は、法人又は人の従業者の業務に関する行為が同法第七〇条第一〇号の罪の構成要件に該当することを前提として、法人又は人に対し刑事責任を負わしめる規定であつて、同項に「行為者を罰する外」とあるからといつて、同法第七〇条第一〇号の罪の構成要件が修正され、同法第六三条第一号ないし第三号に規定する納税義務者らの従業者その他の者で右の身分を有しない者まで犯罪の主体となり得るものであるとは解されないのである。ひつきよう、同法第七〇条第一〇号の罪が特定の身分を有する者についてのみ成立するものであると解せられる以上、身分ある者の従業者その他一般第三者の所為について、時に公務執行妨害、職務強要、暴行、脅迫、強要、侮辱等の犯罪の成立する場合のあることがあつても、その身分のない限り、身分のある者と共犯関係にある場合を除いて、前同号の所得税法違反の罪は成立しないものと解するのが相当である(最高裁判所昭和二八年八月一八日第三小法廷判決、刑集第七巻第八号一七一九頁参照。)。本件において、原判決は、罪となるべき事実として、川崎民主商工会事務局員である被告人が、収税官吏において木型製造業福岡昭彦に対する昭和三七年度分所得税確定申告に関する事後調査のため同人の簡易帳簿等の検査をしようとした際、単独又は福岡とし子と共謀のうえ、原判示の方法で二回に右の検査を妨げた事実を認定し、被告人の右各所為は旧所得税法第六三条、第七〇条第一〇号(共謀の点は、なお刑法第六〇条)に該当するものとしている。これを記録に徴しても、収税官吏の検査の対象物件は福岡和彦の右事業に関する帳簿書類であつて、これを呈示し検査に応ずべき義務のある者は右和彦であることが明らかであり、被告人は右和彦の所属する川崎民主商工会の事務局員というだけであつて、同法第六三条に掲げる身分を有しないものであり、また、共犯者の福岡とし子は、右和彦の妻であつて、同人の前記事業の家族専従者として帳簿の整理、集金等に従業する従業員であるが、これまた同法第六三条に掲げる身分を有しないものであつて、和彦との共犯関係が認められない本件の場合においては、いずれも同法第七〇条第一〇号の罪の主体となることができないものである。それ故、本件は、犯罪の主体性の点から、単独の場合はもとより、福岡とし子と共謀の場合と雖も、被告人に同法第七〇条第一〇号の罪が成立する余地はなく、被告人は無罪である。なお、付言するに、本件は予てより過少申告の疑いをもたれていた前記川崎民主商工会々員の福岡和彦に対する収税官吏のいわゆる抜打ち検査に基因する事案であつて、かかる検査を含む一般課税事務に関し、従前川崎税務署と右川崎民主商工会との間に何らかの交渉がもたれ、両者間にある程度の諒解が成立していたとしていたとしても、川崎税務署が必要を認めて前記のように福岡和彦の帳簿類を検査しようとしたことは、よしんば究極において同人に過少申告の事実がなかつたとしても、かかる検査を違法視して同人の所属する川崎民主商工会に対する不当な弾圧であると断定することは早計であつて、所詮かかる所論は憶測の域をでないものといわなければならない。されば被告人が単独又は共謀のうえ右の検査を妨害する行為に出たことについては、被告人に正当な理由があつたものとはいい難いが、被告人の所為をもつて直ちに公務執行妨害罪その他の犯罪が成立すると断ずるまでには至らない。してみると、被告人の本件所為が旧所得税法第六三条、第七〇条第一〇号に問擬した原判決には、事実を誤認したか、又は右法条の解釈適用を誤つた違法があり、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

よつて、その余の各論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により次のとおり自判する。

本件公訴事実は、被告人は、川崎民主商工会事務局員であるが、第一、昭和三八年九月一一日川崎市東渡田一丁目一一番地木型製造業福岡和彦方において、川崎税務署所得税第二課第一係長収税官吏小沢二郎が右福岡に関する昭和三七年分所得税青色申告に関する調査のため帳簿、書類その他の物件の検査をしようとするのに対し、右小沢の面前に立ち塞がり、顔を同人の顔面に近づけ数回に亘り大声にて「帰れ」と怒鳴りつけて之を妨げ、第二、福岡とし子と共謀の上、同年同月一七日前同所において、前記小沢二郎が前記第一記載の如き検査をしようとするのに対し、同人の面前に立ち塞がり、顔を同人の顔面に近づけ大声で「又来たのか、早く帰れ、何度来たら判るのだ」などと怒鳴りつけて之を妨げたというのであり、検察官は右所為は旧所得税法第七〇条第一〇号、第六三条に該当するというのである。しかし、被告人の右各所為は前記のとおり罪とならず、被告人は無罪であるから、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。(松本勝夫 真野英一 石渡吉夫)

《参考》原審判決の主文並びに理由(横浜地裁昭和四一年三月二六日判決)

主文

被告人を罰金二〇、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

一、罪となるべき事実

被告人は川崎民主商工会事務局員であるが

第一、昭和三八年九月一一日午前一一時過頃川崎市東渡田一丁目一一番地木型製造業福岡和彦方において、川崎税務署所得税第二課第一係長収税官吏小沢二郎が右福岡に対する昭和三七年度分所得税確定申告(青色申告)に関する過少申告の疑があつて、その事後調査のため同人に簡易帳簿、現金出納帳、納品書仕切書その他の伝票等の検査をしようとした際、右小沢の面前に立ちふさがり顔を同人の顔面に近づけ数回大声で「帰れ帰れ」と怒鳴り

第二、福岡とし子と共謀の上同年同月一七日午前一〇時四〇分過頃前同所において前記小沢が前同趣旨の検査をしようとした際、同人の面前に立ちふさがり、顔をその顔面に近づけ数回大声で「また来たのか、早く帰れ、何回来たつて商工会を通じなければ駄目だ」等と怒鳴りもつて右小沢の検査を妨げたものである。

二、証拠の標目(省略)

三、適用法令

被告人の判示各所為はいずれも昭和四〇年三月三一日法律第三三号による改正前の所得税法第六三条に違反し同法第七〇条第一〇号、罰金等臨時措置法第二条第一項(第二事実につき刑法第六〇条適用)右法律第三三号附則第三五条に該当するところ以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから所定刑中いずれも罰金刑を選択し同法第四八条第二項に則り各罰金の合算額の範囲内で被告人を罰金二〇、〇〇〇円に処し、右罰金不完納の場合の労役場留置の云渡につき同法第一八条に、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文により主文のように判決する。

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